友人の存在・友人の厳しい優しさ、そして忘れていたこと

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学生時代、利害関係が一切なく付き合うことができた友人。人生においてかけがえのない財産になっていますよね。あなたにとって、友人の存在、友人の厳しい優しさ、いま一度ゆっくり考えてみませんか。

友人の存在について

友人とは、どこからの関係をいうのでしょうか。現代は携帯やPCでSNS、メールなど際限なく世界中の人とコミュニケーションが可能です。個人情報の保護が厳しくなっている一方、ブログや多様なサイトで、個人の生活を垣間見ることも簡単にできます。中には、見知らぬ人とやり取りをして、直接会う人も多いでしょう。SNSでの関係で、相談することや情報を得ること、その人数が友人の多さだと考える方も多いでしょう。確かに内容だけを考えれば、とても深い話をすることも楽しい会話もするのでしょうし、友人ではないと否定することはできません。古い歌に、「小学校に入ったら、友達100人できるかな」という歌もありますね。たくさん友人を作ることは、良いことなのでしょう。

ただ、現代の、端末を通してだけの友人と、古い歌の意味する友人は、性質が違うように思います。先日、10代から20代の人に友人の数を尋ねたら、100人単位の回答が返ってくる場面を見ました。もちろん会ったことのない人も含んでいるそうです。年齢的に、二世代違う私には複雑に思えました。一体どこからが友人と呼べる存在なのでしょうか。数が多いことが豊かさなのかしら、知人と友人の境目はどこなのかしら、会わなくてもPCを通して顔を見て会話すれば友人なのかしら。情報の伝達方法が進歩することによって、得られたコミュニケーションはある意味豊かさの象徴ですよね。それらのツールを上手に利用することは、20-30年前までは想像もできなかったことで、ある意味、世界は狭くなり、国内でも距離を感じず、相手の姿を見ることができるようになり、本当に豊かになりましたね。名前も顔も知らない友人がたくさんいるのも豊かさの一つなのかもしれませんね。

友人の厳しい優しさ

SNSなどで友人を持とうとしない個人にとって、友人とは、同じ時間や空間を共に過ごし、生活の中で背景やお互いの性格を分かり合うことのできる関係だと考えています。それが、数年間だったとしても、何年前だったとしても、絶対に忘れない存在で、いてくれるだけでいいと思えるのです。長い期間連絡を取れない期間があっても、気にかけていてくれて、本当に苦しい時に、一緒に時間を過ごしてくれる、電話をくれる、そんな友人がいることが、幸せで、恵まれていて、豊かな気持ちを思い出させてくれるのです。学生時代に同じ寮で生活をしたこと、職場で共に一生懸命取り組んだこと、ご飯を食べに出かけたり、買い物や旅行を共にしたこと、その時間と空間の中で、お互いに理解しあえ、苦しい時間も素敵な時間も過ごしました。目の端で、互いを見ていることで信頼も生まれ、会話の中でなるほどと思ったり、私との違いも、相手の尊敬できる部分も見つけられます。

今、PCを通して会話をしても、その経験があるから、お互いに通じらえる部分があります。電話でも、声の調子で互いの状況を分かり合えるのです。だからこそ、とても厳しいアドバイスをくれることも多々あります。あなたはこういうタイプなのだから、もっと自分を見つめなさい。やってはいけないことを無理にでも押し通そうとしたら、心配りをしながらも厳しく誤りを指摘してくれます。生きていてくれるだけでいいと言ってくれます。少し3つほど個人的なことを書きます。

1つ目について

最近体調がすぐれず、まったく食事もとれなかったのですが、驚き、うれしいことが、ありました。2日連続で、ある通販サイトを通じて、ご飯パックが段ボール1箱、保存食も段ボール1箱届きました。発送元が書いてなくて、不審に思っていたら、大学時代の友人が、贈ってくれたものだとわかりました。もう1年以上会っていないし、連絡もしていないのに、友人たちから、多々困っている状況だと耳にしたらしく、本当に驚き、ありがたく頂戴しました。

2つ目について

大学の准教授をしている友人ですが、在宅でできるアルバイトを単発で5件ほど依頼をくれました。私の、性格、スキル、も理解してくれているから、それに合ったものです。生活の状況をよく理解していてくれているから、声をかけてくれたのだということが痛いほどわかり、頑張ってみようと思いました。

3つ目について

大学の寮、会社も同じだった友人が、いきなり訪ねてきてくれて、必要な飲料や食品を持ってきてくれました。でもそれがメインではなく、私の様子を見に来てくれて、話をしてくれることが目的でした。6時間も、話をしていってくれました。物やお金、時間をいただいたことはもちろん心から感謝しているのですが、その根底にどれだけ私を気にかけてくれているのかを、上記の形で伝えてくれてくれたのです。当然、仕事や日常生活、考え方、これからについて、互いに話をする中で、甘いことばかり話したわけではありません。互いに、とても厳しいこと、意に反することもたくさん話し合いました。それは友人だから言ってくれることで、心を痛めてくれて、私も彼女たちの話を聞きながら、同様に、何か感じることは率直に話しました。厳しく優しい友人に、ありがとうと思った出来事です。

忘れていたこと

お金だけあれば生きていける、好きなことができる、と思っていた時期がありました。仕事から疲れて帰るとご飯も、家事も頼める人を雇える。仕事さえしなくてよい。大きな家に住める。その上ほしいものは何でも手に入る。したいことは、最高の環境でできる。確かに事実です。お金がないと生きていけないのが現実です。でも、お金だけあればいいのでしょうか?

人から見れば豊かに見えるし、自分自身も、裕福さを満喫できるでしょう。正直お金はあればあるほどいいなあと思います。でも、忘れていたことに気づかせてくれたのが、友人でした。
前述した友人たち、その他の友人もいなかったら、どんなに寂しく一人で凝り固まっていたでしょう。笑うことも忘れ、泣いたり怒ったり、会話をすることもないでしょう。みんなが頑張っていることも知らず、一人ですきなことだけをして過ごし、時間や風景を共有することもないでしょう。お金では失った時間や健康を買うこともできません。友人や知人を買うこともできません。どんなに仕事を探しても、お金を払ったら雇ってくれるわけではありません。

友人のパイロットが3年前、自分の思いから退職しました。健康で金銭的にも困ってはいなくても、なかなか次のステップに進めずにいます。彼の楽しみは、体を鍛えること、家庭菜園、ポイント集めだそうで、友人と出かけることもなく、時に就職活動をしているそうです。まだ40代ですので徐々に焦りも出ているようですが、お金さえあればいいと思っていたことに疑問を持ち始めたそうです。ポイント集めなどは最近多いので趣味としては楽しいですよね。お買い物も安くできたり、お得なサンプルをいただけたり、楽しいと思います。私も好きです。
今はまだ働かなくてもお金に困るわけではないし健康だから、なんとかなると3年を過ごしているそうです。

庶民の私は、健康も厳しくなり、当然金銭面もそれに伴い厳しいので、うらやましい限りです。が、やはり忘れていたことを思い出して、私は今が幸せで、心だけは豊かです、と言い切れます。友人が生活費を出してくれるわけではないですし、毎日家に来てくれるわけではありません。でも、自分のことしか目を向けられず、この数か月忘れかけていた、友人の大切さ、恵まれていること、豊かさを思い出して。温かい心になっています。皆それぞれ口には出さなくても、悩みや苦しみ、心配は持っています。それでも頑張って生きていきましょうね。友人に相談するまでしなくてもいいと思います。言えないとか言いたくないこともありますから。でも、時に、友人の存在を思い出してみることは、友人を作れた環境を与えてくれた環境にも、友人たちにもありがとうと思えるのではないでしょうか?

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