出会いは奇跡であり偶然の積み重ねだと思う

人は一人で生きていくことはできません。必ず他人と交わりながら生きていかなくてはいけません。あなたはその出会いと別れ、どのようにお考えですか?私の経験を通した出会いと別れについての話です。

出会いの奇跡そして偶然

大切な人と出会うこと、知り合うことは、奇跡で偶然が重なっているように思います。友人にそう言ってみたら、そういうならば、すべての人との出会いが奇跡になってしまうじゃないか。そうは思えないと返答されました。でも、タイミングが少しずれていたり、行動を起こしたり、少し話してみることがなければ、大切な人に出会えなかったのではないかしら?でも、彼の言うことは正論だから、感じ方は、人それぞれと受け入れ反論はしませんでした。

他人のことは、外から見ただけではわかりません。皆悩んだり、考えていることを口にする相手は限られているか、一人で自分の心の中にだけ秘めていることが多いのではないでしょうか。口にすることによって余計苦しくなり、状況が悪化するのが嫌だから、話すことを拒否するという友人もいます。話すことによって楽になることも苦しくなることもありますよね。現実を見つめなおさなければいけなくなるから、意外と女性のほうが内に秘めておくという友人が私の周囲には、多いです。

人間は、他人の羨ましいところは目につきやすいものですよね。こういう私も、3年前までは、悩みや決断を友人にも家族にさえも、絶対本心を見せない、誰から見ても苦労のない幸せな人に見られるようにして生きてきました。事実、何人の方からも、金銭的にも、仕事にも恵まれ、活動的でいつも明るい悩みのない人だと思っていたと言われました。その様に見られるようにしていました。数十年前の大きな挫折から、より一層、絶対に人並みでいたいと思い続けていました。気合と努力で自分一人で乗り越えられると信じていました。そのとき、20年ぶりに偶然同郷の友人に街で出会ったのです。例えば、仕事関連や、居住地、通勤路、学校が何かしらで関わるような生活ならば「わあ、久しぶりね」と嬉しいながらも、縁が切れることは想像もしていなかったでしょう。しかし、一番苦しい時にその友人に出会いました。20年前の出会いも、奇跡でした。

たまたま、街で声をかけられ、何度か話しているうちに、同郷で、共通の知人がいることが分かったのです。当時は、連絡もまれにしかとることもなく、お互いになんということもなく自然に連絡をしなくなりました。あの時に、あの時間あの場所、あの行動をとっていなければ、出会うことのなかった奇跡です。正直、当時は奇跡などとは思いませんでした。でも、20年ぶりに再会した時もやはり偶然が重なっての出会いでしたから、懐かしさと驚きでいっぱいでした。一番苦しい時期に再会できたことが今は奇跡だと思っています。年齢も重ねて、各々、自分の生活があるので、若いころのような連絡の取り方はしませんが、とても大切な人だということをこの数年感じています。20年前には互いに話さなかったことも、初めて、話し始めたり故郷の話をしたり、深入りはしないで、中性的な同志のように思えます。もちろん、学校や会社、近所、などで知り合えた人々も奇跡の出会いではあります。ただ、本当に大切に思える人と出会えることは、数少なく、奇跡ではないかしらと思うのです。

別れの必然

生あるもの、出会いがあれば、必ず別れがやってきます。植物も動物も、人間も、命が消えること、心の距離が離れてしまうこと、連絡をしなくなることなど様々な形での別れがあります。死ぬために生きているという方もいます。環境が変わってやむを得ず別れることもあります。自分の意図しない形で、別れなければならないことも多いでしょう。生がある別れも、生が消える別れも、人の心の動きは他人にはどうすることもできないのです。出会いの奇跡があれば、別れの必然もあるということを忘れないでいたいものです。一期一会という良い言葉もあります。もしかしたら、また今度ね、と、別れた友人や家族と、また、という機会がなくなるかもしれないですよね。次の機会があったときに、ああ、また声が聴けた、また顔を見られたと、ほっとしてうれしくなりませんか?それは、いつどのような形で別れがやってくるかわからないからですよね。ずっと今のままでいたい、と思っても様々なものとの別れは必然だと思います。そう思って、毎日を大事に一日一日、過ごしてみたら、ありがたいな、まだ別れの時ではないのだなと思える幸せな気持ちになれるように思います。

時間を感じる心

年を重ねると、時間の経過の速さを感じるようになります。若いころは一日が36時間あったのよなどと、後輩に話すものです。実際、あっという間に一日が過ぎて同じことを毎日繰り返すだけだなと思ったり、つい先日のことだと思っていたことが、数か月前のことだったり、あっという間に日々が過ぎていきます。記憶力も弱まってきたり、病気やけがで、記憶を失っていくこともあります。時代の変化もあるのでしょうが、昼夜なく開いているお店も多く、昼間は働き、夜は眠るという昔の生活とは変わってきたことも、時間の感覚を鈍らせている一因かもしれません。

私も企業にいたころ、24時間営業の業種だったため、そろそろ仕事を切り上げようかなと思った頃に、海外から緊急の連絡が入ったりすることは頻繁でした。常に誰かが働いているから、現在の便利な生活が成り立っているのですよね。そうした生活を送っていると、早く終わって家に帰りたいとか、この時間までに仕事を仕上げなければ、という気持ちでいっぱいになってしましました。時間の区切りがなくなってしまい、帰宅すると倒れこむように疲労して、次の日、来週に備えて体を休めるだけになります。せっかくの休みに趣味を楽しんだり家族や友人と楽しむ時間さえも、無くなって本末転倒になってしまうように思います。生きがいや、やりがいは人それぞれです。何に時間を使うかも他人が口を出すことではありません。ただ、時間を感じる心は持っていたいなと思います。

個人的ですが、けがのため、記憶に障がいが出始めています。つい先日も、友人と会話していて、かみ合わず、2日間の記憶がないことに気づきました。友人と医師からは、何時に何をしたかだけでも書き残すように言われました。まだ、その日ではないと思っていたら、その日の予定だったと慌てたこともあります。軽い症状ですが、時間が消えた、と思いました。今の瞬間が私たち皆、一番若く、もうさっきよりも年を重ねているのです。だから、時間を大切に、してみようかなと思ってみませんか?記憶がどうこうだからではありません。学ぶこと、遊ぶこと、働くこと、眠ること、読書やテレビ、映画を見ること、趣味でもなんでも、ぼーっとすることも大事な時間です。

すべて無駄なことではないです。時間がくれる、ゆとりや楽しみを感じる心をもってみると、苦しい時間も楽しい時間も生きている証拠と思えるのではないでしょうか。

この記事を書いた人

Sara
Sara
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